猫は人生であり、世界である
岸政彦とおはぎ
2019年9月放送
2000年の夏、連れ合いが務める研究所に、3匹の子猫が捨てられていた。
鳴き声だけが響いていて、どこにいるか分からなかったが、そのうちの1匹、後に「おはぎ」と名付けられる、人懐っこいやつが出てきて、「お腹が減りました」と盛大に泣いた。
そのおかげで、彼女たちは生き残ることができた。
しかし、3匹のうちの1匹は、黒猫だったのだが… その子は夏の暑さで死んだ。
みかねた連れ合いが、残った子猫を連れて帰ってきた。
人懐こくて穏やかで、優しくよくしゃべる長毛の子は「おはぎ」。
神経質で怒りっぽく、甘えん坊な短毛の子は「きなこ」。
生き残った双子の姉妹は、そう名付けられた。
わたしは今でも連れ合いが持って帰ってきた段ボール箱を開けた時のことを覚えている。
おはぎはすぐにこちらを見上げて、「お腹が空きました。お腹が空きました」と泣いたのだが、きなこは私たちを怖がって、「シャー、シャー」と精一杯の威嚇をした。
私たちは特にきなこの美しさに心を打たれた。
私たちは家族4人で、それから20年近く、一緒に暮らしてきた。
子どもができなかった私たち夫婦にとって、おはぎときなこは子供であり、家族であり、親友だった。世界で最もかわいらしい存在が、2つもここにある。そう思った。
もちろん、すべての猫は、それぞれ世界で最もかわいいのだが。
きなこさん。
2017年11月。
ある朝目が覚めた時、おはぎは私の布団の中で、きなこは定位置である押入れの羽布団の上で寝ていたのだが、きなこを撫でた時、すぐに気づいた。
彼女は動かなくなっていた。
その前の晩まで普通に元気で、ゴハンもよく食べて、ここに来て撫でろだの、もっと柔らかい寝床を作れだの、寒くなってきたから電気ストーブを点けろだのと、うるさく要求していたそのきなこが、朝起きた時、なんの前触れもなく、突然、動かなくなっていたのである。
数秒経って、自体に気づいた私は、まだ体温を残していたきなこにすがり、大声で泣き叫んだ。
先に起きていた連れ合いも駆けつけて、おそらくこれまでの人生で最も大きな声を出して、泣いた。
おはぎはただ、私たちの間をウロウロとしていた。
17年以上、一緒に暮らしてきた妹が、逝ってしまったことに、全く気づいていないようだった。
猫は人生であり、また、世界そのものである。
おはぎときなこを拾った時、私は三十そこそこで、まだ無名の大学院生だった。
連れ合いも二十代半ばで、これから研究を始めるところだった。
きなこがいなくなった時、私は50歳になっていた。
大学で職を得て、本も何冊か書くようになっていた。
つまり私は、30歳から50歳までの人生のど真ん中の20年を家族4人で暮らしてきたのである。
だから「猫を拾う」ということは、妙な言い方になるが、「人生を拾う」ということだ。
おはぎさん。
そして、猫が世界そのものだと思うのは、それが必ず、先に死ぬからだ。
つまり、猫というものが、永遠に生きる。あるいは、例えば平均して50年歳くらまで生きる存在なら、私たちは猫を飼うことができないだろう。
それが「わかいい」ということと、その「寿命がとても短い」ということは、同じひとつのことなのである。
何度か引越しを経験しながら、20年近く一緒に暮らしてきた4人の家族は、今、3人になってしまった。やがて2人になり、そして、1人になる。
私の人生の中で、最も幸せだったのは、間違いなく、4人で暮らしてきた20年間であり、そしてそれは、終わってしまった。
きなこにはもう2度と会うことはできない。やがておはぎもいなくなるだろう。
そして、だからこそ、彼女たちは美しく、愛おしいのである。
私も、家に帰ったら愛猫(リク♂)が床に倒れて(硬くなって)いた。という経験があるので、この放送は号泣しながら見ました。今回文章を起こしながら、ページを作りながら、何度も泣きました。
是非、オンデマンド or 再放送で見てほしいです。
ネコメンタリーは、とても素敵な、心温まる大好きな2番組です。最初は文章だけの掲載にしようかと思っていましたが、猫ずきの方の心に、より沁みるように(テレビを見ていない方に興味を持っていただけるよに)、画面のねこさんをスマホで撮影。画像をアート風加工させていただきました。