任務十八年
角田光代とトト
2020年4月放送
さて、任務が終わったので帰ることとなった。
借りていた衣を脱いで、元いた場所に帰る。
この衣をすっかり脱いでしまったら、私たちは人間界とは無関係となる。
本来わたしは、時間という概念を持たないから、今より先のことを考えたりはしないのだけれど、わたしたちの派遣先である人間は、今より先のこと、今より昔のことを繰り返し繰り返し考える生き物だ。
今、起きていないことや存在していないものを思い描いては、怖がったり不安になったりしている。ずっと前にやったことや起きたことを思い出しては後悔したり、落ち込んだりする。
先のことも、前のことも考えなければいいのに、それはどうしても出来ないみたいだ。
だからきっとわたしの任務先であった人間、さくらサンも、わたしがやってきた当初から、わたしがいなくなることを思い描いていた。
わたしの帰還後はきっと、愚かにも後悔したり、泣いたりするに違いない。
わたしたちはそれぞれ、任務を受けて衣を借りて、担当の人間の所に向かう。
ひとりで行くこともあれば、兄弟や親子で行くこともある。
目が合って念を送ると、狙い通り人間はわたしたちをいとも容易く家に招き入れる。そうしてわたしたちは、それぞれ定められた任務期間、その人間と暮らし、定められた諜報、謀略活動を行う。
- - - - - - - - - - - -
諜報は、報告書を提出すること。
謀略は、ともかく、自分の力ではなんにもしないこと。
なんでも人間にやってもらうこと。
- - - - - - - - - - - -
諜報とか謀略とか、言葉は悪いが、わたしたちが基本的に行っているのは平和的活動だ。
その証拠に、わたしたちを迎え入れた人間は、9割がた、平和的行動をするようになる。善良な人間になるわけではないが、小さな生き物に対してだけは、平和的心になる。
わたしたちが額から発する睡眠誘発剤を無自覚に吸って、すやすや眠り込むだけで、人間の心は平和になるのだ。
任務は三年のこともある。
私の場合は 十八年だった。
十八年いろいろあった…と言いたいところだけれど、私には今より前のことを考えることができないから覚えていない。
わたしを迎えた時のさくらサンはおばさんだったけれど、この任務期間におばあさんになった。すっかり平和的なおばあさんだ。
帰ったらわたしはこの功績を称えられて表彰されるだろう。
それではさくらサン、さようなら。
さようなら。ありがとう。
衣を脱いで帰っていく間、背を丸めてわたしの脱いだ衣を抱き抱えて、わぉんわぉんと吠えるように泣きながらわたしの名前を呼ぶさくらサンの声が聞こえていた。
案の定わたしは十八年の功績を評価されて表彰され、ご褒美に休暇をもらうこととなった。
わたしは少し考えたのだけれど、休暇を返上し、任務の結果を視察したいと願い出た。
平和的なおばあさんになったさくらサンは、わたしがいなくなって凶悪なおばあさんになっていないか視察したい。
本来ならば任務を離れたばかりの人間の元へ戻ることは許可されない。 けれどもたぶんわたしの功績が認められ、その視察目的も納得のいくものだったのだろう。
許可が下りた。
一日だけ。
灰色の汚れた外用の衣を借りて、わたしは再び住み慣れた町へと降りて行き、赤い屋根の小さなおうちの前にたどり着く。
- - - - - - - - - - - -
見つかったらいけない。
あくまで視察なのだ。
- - - - - - - - - - - -
しばらくするとドアが開いておばあさんが出てきた。
さくらサン……… 買いものに行くのだ。
前より背中を丸めてしょんぼりとして足取りも重い。なんだか凶悪になっている気がする。
収集前のゴミを蹴ったり小さな生き物に石を投げつけたりするのではないか。
そうしたら、わたしの十八年もの任務がパーだ。
見つからないようにこっそり後をつける。
公園を通りすぎた所でさくらサンが足を止める。
じっと何かを見る。
知っている。
電信柱の下にずっと前から付着しているペンキが、わたしかわたしの仲間に見えるのだ。
全く同じ場所なのに、さくらサンは何度でも見間違いをして足を止める。
そして間違いに気づいて「なんだ、ペンキか…」と笑って立ち去るのだ。
でもこの時は立ち去らずその電信柱に近づいて行く。
わたしでも、わたしの仲間でもない、ただのペンキの汚れだと分かっているのに、近づいてしゃがむ。蹴るのか… 唾を吐くのか…
注視していると、さくらサンはそっと手を伸ばし、ただのペンキ跡をやさしく撫でる。
びくりとする。
その手の感触が、じかに触られたかと思うくらいハッキリ分かったから。
丸くて分厚くて、乾いていて、あたたかい手のひら。背中を、耳の後ろを、額を、顎を包むように行き来する手のひら。
わたしは今、撫でられているかのように、さくらサンの手のひらの感じを思い出す。
驚いたことに、それを合図のようにして、次々といろんなことが溢れ出してくる。
ちいさな、ちいさな私を包んだ両手。
頭をもたせかけて眠った、ふわふわのお腹。
嫌いだったシャンプーの泡と、やわらかいシャワーのお湯。
テーブルに乗り損ねて床に落ちて、それを見てはじけるように笑う声。
毎日用意されるごはんと「おいしいねぇ」と言う声。
あたたかい陽射しの中での居眠り。混じり合う私たちの寝息。
今、ただのペンキ跡を撫でているさくらサンも、おんなじことを思い出しているのが、わたしには分かる。わたしを失って、あなたは凶悪になんかなっていない。なにも、恨んでも、怒ってもいない。ただ、自分を満たすものをくり返し確認している。
あくまで平和に。
「ねぇねぇ、きっといつかまた別の衣をまとって、あなたの所へ派遣されるから、待っていてよ」と物陰からわたしは言いそうになる。
でも言わないのは、おんなじことをさくらサンもまた思っていることが分かるから。さくらサンも、いつかまたわたしが自分の所に戻って来ると確信していることが分かるから。
あれ…?
わたし、今より前のことも先のことも分からないはずなのに。なのに思い出しているし、いつか分からない先のことを考えている。
あ、そうか…
わたしは人間を視察したかったのではなくて、本当はこのことを知りたかったのだ。
時間の概念がないわたしにも「今」を作ってきた今までがあり、「今」が作るこの先があると… そのことを確かめたかったのだ。
さくらサンはペンキ跡を撫でていた手をふと止めて振り返る。
私は咄嗟に物陰に隠れる。
見つからなかったはずだけれど、さくらサンは十八年ずっと私に向けていたのと同じ顔で「にいっ」と笑うと、立ち上がり、青空の下歩いていく。
映像を見てる時も、ここに上げた文章を読んでる時も、うち子(現在18歳)の任務が終わるのはそろそろだろうか… と思い、必ず泣いてしまいます(ノ_<。) 私も15歳で亡くなったリクくんの気配を(死後数日経って)感じがことがあります。きっと、あれは視察に来てくれたんだなぁ… なんて、今は思います。
ネコメンタリーは、とても素敵な、心温まる大好きな2番組です。最初は文章だけの掲載にしようかと思っていましたが、猫ずきの方の心に、より沁みるように(テレビを見ていない方に興味を持っていただけるよに)、画面のねこさんをスマホで撮影。画像をアート風加工させていただきました。